【サポーツマンとは】

「引退後、正直どうしていいか分からなかった。誰に何を相談していいのかも分からなかった」

発起人である長谷川太郎・宇留野純が引退後に同じく感じた不安、焦燥感を後輩の現役選手達が感じなくて済むようなサッカー界にしたい。そんな二人の想いが重なり結成された団体です。
長谷川自身、引退後に警備員などのアルバイトを経験後、会社員になるも挫折。
2015年10月、引退試合で多くの方に背中を押してもらったことで、やっとセカンドキャリアを走り出すことができた。
また、宇留野も海外から帰国後、引退を決意しながらもセカンドキャリアをどう進めばいいのか悩んでいた。
その中、長谷川太郎引退試合で多くの仲間と再会、そして様々な人との交流、サポートのおかげでようやく歩み出すことができた。
“お世話になったサポーター・スポンサー・チームの皆様に直接感謝を伝える”
それこそがサッカー選手としての“終了のホイッスル”であり、セカンドキャリアの“キックオフのホイッスル”になる。
サポーツマンの企画が、次のステップへの「決断・覚悟」のキッカケとなり、選手時代と同じ情熱を捧ぐセカンドキャリアを過ごしてもらえたらと考えています。
そして、選手・サポーター・スポンサー・チームの方々がずっと繋がり続け、支え合える、そんな豊かなサッカー界を目指して活動してまいります。 


発起人 

長谷川太郎

宇留野純
サポーツマン結成ストーリー

【現役時代】
2014年4月27日
現役最後と決意しのぞんだインドリーグ最終節…
先制点を奪われ1点ビハインドで前半を終えようとしていた。
「この試合でサッカー選手最後…絶対に後悔を残したくない。」
その気持ちが実を結び、自身の中でもベスト3に入るゴールを決め、2-1で勝利し、現役生活に終止符を打った。

「やりきった!」

試合を終え、一睡もできず17年間を思い返し、幸せだった現役生活に感謝した。
【引退後】
翌月2014年5月、日本に帰国。
気持ちを切り替えることができ、経験したことがないアルバイト、就職活動を行った。
また、会社勤めもした。

ありがたい環境に感謝しつつ、でも何とも言えない感情を毎日抱いていた。
今思うと鬱だったのかもしれない。
これまであった夢や目標が見当たらないこともそうだが、それよりも何もできない自分に嫌気がさす。

「俺なんか…」
「俺はダメだ…」

よくTVで見る、アスリートのセカンドキャリアも同じだなと。

「アスリートは根性がある」という世間のイメージは間違っていない。

しかし、それは覚悟を持てたアスリートに限ったもので、引退後メンタルチェンジができた者以外は、そのイメージが逆に足枷となることも多い。
まさしく、自分はそれだった。
どう頑張っていいのか分からない。
何を人に相談していいのか分からない。

人にも会社にも社会にも貢献できなく、自信を失っていく日々が続いた。
【新たな夢】

2015年1月23日
何気なくテレビをつけると、アジア杯vsUAEが行われていた。
その日の日本代表はなかなかゴールが奪えずPK戦の末、敗戦。
解説の「決定力不足で負けた」という言葉が現役時代の感情を思い出させた。

「これが俺のやることだ…」

新たな夢が見つかった。
夢が見つかってからはこれまでの自分が嘘のように、エネルギッシュになるのが分かった。
そして、一般社団法人を設立。
 
「2030年 みんなで育てよう! W杯得点王」
をテーマにストライカー育成を行うに至る。
【サポーツマン結成のキッカケ】
2015年10月
前所属チームの協力の元「引退試合」を開催してもらった。

それがサポーツマン結成のキッカケとなる。
"とても幸せな時間だった"

「以前からSNSなどでの引退報告などに違和感を感じていたから、直接感謝を伝える場をつくりたかったし、お世話になったチームに恩返しをしたいと思っていた」

2,500人もの人達に囲まれ「お別れ会」をしてもらえたことで、背中を押してもらい、後ろを振り返ることがなくなった。

「きっと元アスリートはある一定の人しか区切りがない中でいきなり社会に出る。踏ん切りというか、腹落ちというか、覚悟が決まらない人達が多い。だから…多くの人達に引退後、このような経験をしてもらいたい。
また、これまで応援してくれていたサポーターの方々、仲間、家族にも同じく切り替えをしてもらい、今後も繋がり続けてもらうキッカケである合同引退試合みたいなのができないか。」
という気持ちになった。

【現在】

引退試合〜現在まで。
企画書を作り、人に話をし、試行錯誤の繰り返し。
その中で転機となったのは宇留野純との再会。


「引退後、正直どうしていいか分からなかった。誰に何を相談していいのかも分からなかっった。そんな自分がいてね…。

だから、この活動をこれからの引退後の選手達、お世話になった方々の為にやっていこう」


2人の想いが重なった。


そんな中、一本の電話が。

柏レイソルユース時代の2トップの傍らであった税理士の東浦一樹からだった。

東浦もトップ昇格を直前に選考に洩れた経緯がある。


「太郎の試合を始めて見た。それが引退試合だった。始めは10人くらいしか来ないかと…。でも、こんな奴でもあんなに多くの人達に囲まるのを見て感動したよ。

いろいろな人達に話をしたんだけど、是非何か形にできないか?」


自分も含め3人ともセカンドキャリアに悩み、今がある。


「自分達のように、悩み、迷子のようにならないように、引退後みんなが支え合えるコミュニティを作ろう」


それから1年間・・・

その想いに賛同してくれたメンバーが意見をぶつけ合い、少しずつ形になってきたのが

“サポーツマン”である。

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